時代の太陽

長嶋さんが亡くなられた。

私が3歳の頃に現役を引退されているので、リアルタイムで知っているのはジャイアンツの監督時代の長嶋さんだけだ。
それでも、当時、長嶋さんはなにかとよくテレビに映っていて、画面に登場するだけでなんとなく母の顔、家庭の雰囲気がふわっと明るくなった記憶がある。
そういった母の様子に釣られて、子供ながらに長嶋さんには無条件に惹かれていた気がする。

 

言葉もそうだし、身振りや表情、あの独特のテンポがどこかこう、陽だまりのような、そんな、不思議な存在だったと思う。

 

今日、訃報を耳にして、最初に思ったのは「ご高齢だったもんな」ということだった。
でも、少し時間が経つと、なんだか急に、とても悲しくなってきた。

 

日本をずっと明るく照らしてくれた人が、いつの間にかテレビから遠ざかり、
私自身もテレビを見なくなって、気づけば、あの頃のような“日本の明るさ”がどこかに消えてしまったように感じた。

 

もしかすると、長嶋さんが画面から姿を消し始めた頃から、
少しずつ「明るい日本」が遠くなり始めたのかもしれない。

これはけっこう本気で思っている。

それくらい長嶋さんは太陽のような人だったと思う。

もう、完全に、ひとつの時代が終わった。

 

今の私はあのスターが輝いていた頃の年齢を超えている。

子供の頃から観ていたスターたちが次第に姿を消してゆき、自分の中の“時代”が少しずつ失われていく。

そんな、時代の人の訃報にふれるたび、
自分が信じてきた“人間の姿”が、少しずつ遠ざかっていくような感覚になる。
それが、年を重ねるということなのだろうか。
こうして時代はゆるやかに変わっていくんだな。

 

時代の太陽が沈む時って、無意識に自分の季節が終わっていくのを感じてしまう。

 

人生の先輩たちは、こういった、あらがうことのできない無常とともにある悲しみを受け入れてきたのかと思うと、頭が下がる思いがする。

 

今日はなんだか、やたらとセンチメンタルになる。

 

それにしてもほんと、長嶋さんがいないのは悲しいな。

 

長嶋さん、本当にありがとうございました。

 

 

謹んでご冥福をお祈りいたします。

※2021年7月23日 この日は実家で母と東京オリンピックの開会式を観た。

この日、母は何も言わず、長嶋さんの姿をじっと見つめていた。
歩行が不自由なはずの長嶋さんが、どこか晴れやかな表情で聖火を運ぶ姿に、自分の時間を重ねていたのかもしれない。