子どもの頃、住んでた家の裏には割と立派な林があった。
虫がいるような季節には、毎日クワガタやカブトムシを捕まえに入り浸っていた。
採集中にふと空を見上げると、木々の葉っぱと葉っぱのあいだに、不自然なくらい綺麗な隙間ができている。
葉っぱ同士が遠慮している。そんなように見える。
「このあたり、どうぞお通りください」って言ってるみたいに。
子どもながらに「これは植物のくせに礼儀があるな」と感心していた。
同じ木だったら、なんとなくわからんでもない。
でも違う種類の木、例えばクヌギとコナラが、お互いに譲り合うように、どうぞどうぞと葉と葉の境界をあけてる。
人間だったら、種類が違えばなおさら主張し合ってモメるところだ。電車でも職場でも。国家でも人種でも。
なのに木はお互い黙ってる。声を出さずにきれいに道を譲ってあけてる。なんだこれは。
後で調べて知ったんだけど、この譲り合っているように見える現象は「クラウンシャイネス(Crown Shyness)」っていうらしい。
そのまま内気な王冠って意味なんだそうで、なかなか詩的な名前だ。
どうやら、風で互いの葉がこすれ合うと痛いとか、病気が移りやすいとか、光を奪い合うのが無駄だから効率を考えてとか、いろいろ推測されてるらしいけど、私はこの現象は「ひかえめの美学」だと思ってる。
譲るというより、先に引く。ぶつかる前に引いてる。まるで昭和の職人の会釈のようだ。
確かに昔は、それぞれがこういう引く余裕というか、相手を尊重するみたいな気遣いがけっこうあった気がする。
いつのまにか自己主張の権化みたいなのが増えちまったけれど、もともと日本人はひかえめの美学、得意だったじゃないか。
今は、せっかく空けた隙間を皆がこぞって埋めようとしてる感じなんだよな。
そんなことを考えながらもまた、木々の葉と葉のあいだにできた、あの不思議な“空の道”を見上げてしまった。
※写真は、明治神宮の森を見上げたところ。