自然のものは、どんなものでもそこに美しさを見出せると言いますが、その中でも花はとてもわかりやすい存在です。
色々な花がありますが、それぞれの花の持つ奥深い美しさは、気の遠くなるような無数の時を超えて、花と虫たちの間で静かに紡がれてきた共生関係に深く根ざしているように思えます。人間によって掛け合わされ、過剰な美しさを持たされた花を見るまでもなく、自然に存在する、地味な花でさえも、その形には驚くべき美しさがあります。花という概念をまったく知らない人間がゼロからその形を作り上げるのは到底不可能だろうと思います。
たくさんの種類の花から多くの蜜を集める虫もいれば、特定の花、一種にしか関わらない虫もいますが、それらの虫たちは、その花の美しさをどう理解しているのでしょうか。もしかしたら、虫にとっての花は生活必需すぎて花の美を意識することはないかもしれません。「心を持つ人間だけが、美を感じ取ることができるのだ」と言った人がいましたが(誰の言葉だったかは忘れました)、花の美を理解できるのは確かに人間だけなのかもしれません。人間だけの特権かもしれないのであれば、その美しさに浸りきってしまったとしても、なにも咎められることはないでしょう。
というわけで、もうすぐ梅の季節がやってきます。私は梅の花がとても好きでして、とくに白梅が好きですね。我が家のベランダにも長年育てている梅の鉢植えが数鉢ありますが、毎年、それなりに綺麗な花を咲かせてくれます。いくらか大柄で華やかな咲き方の桜や桃と違い、梅の花は少しばかり小柄で、なんとなく質素で、奥ゆかしさもあり俗っぽさがなく清楚な印象です。それでいて剪定を繰り返してもあまり弱ることもなく丈夫な木なので、陰日向の存在といいった感じです。花柄がないので、枝から「ぽんっ」って感じでまるいつぼみが現れてみるたびに膨らんでゆくのもかわいいですね。まだ冷える頃に咲いて、あたたかさを実感する桜の咲く頃にはすでに散ってしまっているので、なんとなく影の薄い印象なのかもしれませんが、清少納言の「春はあけぼの〜」は確か桜じゃなくて梅の花の描写でしたよね。どこか品があって、日本古来の母親像を連想させるような、控えめで優しいけども強かな美しい花というように思っています。
我が家の鉢植えの梅も、だんだんとつぼみが膨らんできており、まもなく開花の時を迎えようかというところですが、今はそのときを迎えるのがささやかな楽しみです。