静かな躍動について。

 

鉢植えが放置されてるんですよ。誰も手をかけなくなって、土は乾き、葉先は痛んで、まるで見捨てられたみたいに。よく見ると、枝の隙間から新たに小さな芽が出ていたり、苔が広がっていたりして、小さな草たちが鉢の空き地に寄り合って静かに息をしている。それは、人の手が入らないからこそ出てくる自然の形なんですよね。整ってはいないけど、そこには生きる力が宿ってる。

それは恋を失った女性のたたずまいにも似ていると思うんです。恋をしているときは、手入れの行き届いた花壇や買ったばかりの観葉植物のように、飾り整えられた美しさがあります。でも、その恋を失ったとき、あるいは失わされた当初は、茎の中心が傷つき折れそうなくらい不安定で、見るからに弱っているけど、人知れず傷を修復しながらしばらくすると、そんな傷をものともせず、しれっと自由に生き始めるんですよね。その姿がほんと美しいと思うんですよ。形なんて気にせず、ただ生命そのものの力をそのまま伸ばしていく。その姿には不完全だからこそ感じられる本物の力強さがある。恋をしていた時期の美しさとは異なる、また別の自然で新しい美しさがそこに生まれているように感じます。そんな事を思うと、多田富雄や三島由紀夫が「女は存在(自然)で男は意識」って言ったことが静かに染み入ります。

こうした街で見かける生命の無常の移ろいの中には、何よりも美しさが潜んでいますね。